文明の芽胞

2022/08/05

書かなければ消滅するメカニズムでは、サバイバルの必要水準が想像以上に高いこと、知的創造をクリアするには書くプロセスが不可欠であることを確認した。

分業することじたいに風化作用があり、1990年代から進んできたデジタルデータによる紙の置き換えは、人々の直感に反して組織の死期を早めている。

「書く」ことのプラスの側面

情報伝達では、受信者が内容を変質することにより負の知的創造である知的破壊が起きる。

その度合いは受信者の発信能力に比例する。組織規模で見たときに何が起きるかは、熱力学第2法則に従うはずだ。
各プロセスに知的エネルギーの追加消費がなければ風化が進む。

情報伝達のマイナスを確実に打ち消す方法が1つある。
それは、発信者と受信者が同一人物であることだ。基本的な形式は「書く」ことになる。

サバイバルは現実にフィットすることだから、現実を描写し解釈したものが書かれる。
これをコンテクストという。コンテクストを保存し、未来の自分に送ることが知的創造の基礎である。

それが必要なのは、対処すべき現実の情報量が膨大であり、相互に直接の関係を持たないプロセスの集合になっているからだ。
情報を簡略化することは知的破壊そのものと言える。

このようにして、書いて自ら評価する行動だけが知的創造のプラスの作用を引き出すための有効な手段となっている。

時間をかけて風化作用だけが残る

僕は、自分の死後の世界を見たことが何度もある。
臨死体験などではなく、自分がいなくなった後の組織の風化作用を観察したことがある。

このシリーズの主張はそうとう通念に反していると捉えている。これは、フィールドワークの積み上げから来ているため確信がある。

風化作用の分かりやすい例は、情報システムの例だ。

完全に動作するWebシステムを置き残してきた会社があり、後日談としてこのシステムが時間をかけて破壊されたというエピソードを聞いた。
1人のエンジニアが時間をかけて改修を続け、少しずつ機能を失っていったのだという。あらためてゼロベースで外注開発する必要に迫られ苦境に陥っているとのことだった。

周囲の従業員は大変怒っていたそうだが、僕自身は「そんなことが可能なのか」と興味深く聞いていた。
壊した本人は、より美しいシステムに進化させたい一心だったのであり、方向性の良し悪しがいかに無力かということを理解できた。

美しいアーキテクチャなど、僕が思いつかないはずがない。
現実問題としてそのように構成できない制約を考慮に入れて設計していたのだから、もとよりそこに道はない。

そしてこれは一例に過ぎない。
風化作用はつねに働いていて、総じて諸行無常と言える。競争優位が持続的でないことと同じである。

成し遂げる、ということはより大局的に見れば何もしていないのと同じなのだ。

ミームの芽胞

ここまで、知的創造という必要水準に対して組織がいかに脆弱かという点を確認してきた。

要するに、人類は知的創造が不得意である。
知的創造できるメンバーの存在確率をpと置くと、2人存在する確率はpの2乗、n人ならばn乗となる。

確率pは1未満だからnが増えることで仕上がり確率は減る。
一般的に、組織は個人よりも知的創造能力が低い。

つまり、いま組織というものを忘却すべき時に来ている。
古来、知的創造は古典書籍を通じて継承されてきたものである。

このような伝達形態をミーム(模倣子)と呼ぶ。

たとえば、修道院などでは先人の遺した書物をデッドコピーする作業を継続してきている。
これまでに見たように、読み手の解釈はおおむね風化作用であるため、デッドコピーが最善の策として機能する。

これは細菌類の中に芽胞という遺伝子媒体を作る種があることと似ている。
芽胞は耐久性に優れるが不活発であり、その遺伝子は使われることなくただ保存される。

このような仮死状態を経て、遺伝子やミームを適切に利用できる環境に出会ったときに活動を再開する。
仮死状態を含むプロセスでなれば、文明の継続性は得られないとも言えるだろう。

組織は仮想的な存在であるため、仮死状態は死と違いがなく、芽胞を持つことはできない。

「書かない組織は衰退する」という冒頭の命題は、よりマクロに見れば「すべての組織は書かない状態を避けられず、よって必ず衰退する」と言い換えられる。

創業やサバイバルがいかなる形をとるべきか、という問題意識を解くうえで、よほど通念を排除する必要がある。

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