壺中日月長

2013/01/10

最近の中心テーマは"時間"。
時間はコンセプトに過ぎないから、人によってさまざまなとらえ方がある。

いま注目しているのは主観的な時間、つまり意識の使い方と時間の関係だ。

壺中日月長

主観的な時間は科学のテーマではなく、寓話のテーマだ。

「壺中日月長」というのは、壺の中の桃源郷に行って帰ってきたら、えらく時間が過ぎていた、という故事で、日本でいう浦島太郎と同じ話。

壺中日月長でも浦島太郎でも、主張しているポイントは「あっという間に時が過ぎることがある」という点だろう。

それが良いとも悪いとも言っているわけではない。

たとえばアリとキリギリスのように、時間の使い方の価値判断を含んでいるわけではない。

時の流れは制御できる

逆説的だが「あっという間に時が過ぎることがある」という主張には「あっという間には過ぎないこともある」ということも含んでいる。

壺に入るか入らないかは自由なわけだ。

つまり、主観的な時間は意識の使い方や行動で制御できるのだと思う。

どちらを選ぶかは好みの問題だろう。

ただ、あっという間に時間が過ぎるということは、主観的にはその人生は一瞬に感じられるのだから、死んだも同然なのではないか。

日月を長く使うことが生きているということだ。

時を制御しよう

寓話は体験とマッチしたときに納得できるものだ。
じっさいには、いま日々の活動から日月長を心がけることの重要性を痛感している。

意識的に活動を制御しないかぎり、時はあっという間に過ぎる。

“時間"という言葉を使うと、30分なり1日をどう使うかという時間量の管理に目が行きがちだ。

主観的な時間を制御するには、おそらく"有意義な30分"といった概念を忘れた方が良い。

そんなことよりも、自分の一挙手一投足の活動に目を向けるべきだ。

「あっという間に時間が過ぎる」という感覚は、意識的に活動を制御できていないという危険信号だ。

無意識の活動を排除して、すべての活動を一つひとつ選択することで、日月を長く生きられる。

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