『暗黙知の次元』

2023/01/02

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』は、「知」の本来のパラダイムに光を当てた初期的な主張と言える。
2023年現在から振り返って過去100年程度の知的生産の研究は、論理・記号操作による手法が主であり、暗黙知のパラダイムには今もって有効にアプローチできていない。

「暗黙」とは無意識のことである。ただし、ユングなどの初期心理学者が導入して不用意に知られている潜在意識のような概念とは無関係だ。
たとえば何かを考えるときに、思考とは意識を操作することだととらえる感覚が一般的だろう。ポランニーの主題は意識がとらえられる知覚はごく一部であり、むしろ意識できていないプロセスこそ思考の主体であると捉える。

これはさほど自明ではない。

典型的な誤読にナレッジマネジメントのSECIモデルがある。
現在「暗黙知」はSECIモデルの付帯ワードとして知られていることの方が多い。SECIモデルの力点は、個々人が持つ暗黙知を文書などの形式知に変換する点にある。

野中郁次郎らの意図としては暗黙知をブラックボックスとして扱うことで、暗黙知の性質がどのようなものであったとしても矛盾なくフレームワークを記述できることを狙ったのだろう。
しかし、SECIモデルの定義から暗黙知を「まだ形式化されていない知識」ととらえるとオリジナルのアイディアは完全に欠落する。

暗黙知は表面的な外見から理解できるようなものではない。
そもそも意識が知覚できない領域を議論しているのだから、自明(意識が知覚しやすい形態)であるはずがない。

直感を直視する

暗黙知を近似的に語るなら、直感や閃きが妥当だろう。ただし、瞬間的なものに限らず持続的な感覚も含む。
マイケル・ポランニーは物理化学者として業績を残した人物で、後年その科学研究の主観的な体験にもとづいて暗黙知などの知識創造研究に転じた。
本書は分野こそ異なるが宮本武蔵『五輪書』と書き味は近い。

剣豪たる科学者の感覚として、大発見の確証を得る前それもまだ形をとらない段階から、大発見が存在することの予期を最初に知覚するのだという。

「それは、問題の孤独な暗示、すなわち隠れたものへの手掛かりになりそうな種々の瑣末な事柄の孤独な暗示から、始まるのである。それらは未だ知られざる、一貫した全体の、断片のように見える。こうした試行的な先見性は、個人的な強迫観念へと転じられねばならない。」(p.125)

閃きのもっとも強い感覚は強迫観念のかたちをとっている。
これを、暗黙知のポランニー予想と呼んでも良いと思う。

極論するなら、その形をとっていない思索などは単なる作業にすぎないかもしれないのだ。

意識のフロンティア

『暗黙知の次元』刊行の1967年頃には、まだ無意識の作用の研究に厚みがなく、断片的な示唆を貼り合わせるように論を組み立てている。

21世紀の現在、脳科学はひとつのフロンティアとして着々と進展しており、無意識のメカニズムはどうやらポランニーの想像にそれなりにフィットしている。
近年の"意識"の研究については、渡辺正峰『脳の意識 機械の意識』にコンパクトにまとまっている。意識の解明のために、無意識の作用の解明が進められている様子が分かる。

顕著で卑近な解説は、野球のバッティングの例による「主観的時間遡行」(p.138)だろう。

意識があらゆる物ごとを知覚するには0.5秒かかり、僕らは0.5秒前の世界をリアルタイムと思って知覚している。
一方、野球で160km/hの投球は、0.4秒以内にホームベースを通過する。

これを素朴に考えれば、0.1秒は常に振り遅れる構造になっている。“リアルタイム"はこの矛盾を知覚しない形で神経網が生成した知覚である。

『脳の意識 機械の意識』は、神経網が知覚しているが意識には上らないものが多くあることを例証していく。また、副次的な示唆としてマウスにも一面ヒトと同様の意識があることも判明している。
そして研究の果てには意識の機械実装に確信を持っているのだという。可能であろう。

暗黙知に関する示唆としては、意識の知覚が限定的である以上、知識創造の主体は無意識から来ているとするポランニーの視点に傍証を与えるように見える。

20世紀の幻想

ポランニーが提唱した暗黙知の重要性は、20世紀を通じて形成されてきた社会常識の限界を記述する能力にある。

たとえば、理性が高次の意識の働きであり、何よりも尊重すべきであるといった見方。
意識が知覚する刺激は全感覚の一部であることを前提におくと、“高次"や"高度"が意図したかったことは暗黙知という無意識感覚に直接頼っている可能性が高い。

また、あらゆる知的生産が暗黙知に頼らざるを得ないのだとしたら、チームワークという概念の骨子は集団幻想と言える。

つまり社会を成立させている前提について、事実は20世紀的な常識と根本から異なっているのかもしれない。
そしてそれは、研究イノベーションが天才に帰属するものであったり、産業転換には実効的な方法論が見当たらないといった、一面で不都合な真実と整合的である。

ミクロな例でいえば、技術普及の結果「検索エンジンの最上位に表示される情報をそのまま流用する」という挙動が広く普及し、これを「情報化」と呼ぶに至った。
この挙動の問題は、暗黙知の感覚を引き出そうとする身体操作の欠如と考えればクリアである。

そしてイノベーション論の見方に沿って言えば、経済サバイバルにとって知的創造が必要なのだから、知的である方法については当然貪欲であるべきだろう。

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