いまスタートアップに身を置いて4年、総合格闘技のように多種多様で山のような物量の仕事を手がけてきた。
振り返ってみると、経営の観点で意味のある成果を出せているときのプロセスは、従来的なワークスタイルとかけ離れた活動をしている瞬間に生まれていることに気づく。
経営的に意味のある施策というのは、一つひとつのプロセスに他社との違いを混ぜていくということだ。
たとえば、商品の見せ方に目新しさを採り入れるということであったり、同じ効果を得るにも1つ手順をはしょれるとか、手持ちの資産を焼き直して目立つ機会を1回増やす、背景のニーズをより理解しやすくするテストを盛り込む、といったことなどが挙げられる。
このような工夫にたどり着く際には、以下のような独特な思考プロセスを経ている。
- 作業過程のディティール情報はあまり利用せず、ゼロベースの思考・リフレームした物の見方を経ている
- ワンポイントの着想に終わらせず、具体的に実行可能な手順になるまで考え続けている
- 障害になりそうなケースを想定でリストアップしている
- ほかに考えていないアプローチがないか、探索している
- 具体的な結果を想定し、結論としてそれをやってみるべきなのかどうかを評価している
これはつまり「仮説立案」に手間を割いているということだと思う。
仮説思考(abduction)は、まだ存在しない未来のすがたを具体的に描く作業なので、自分の脳のCPUを集中的に使えることが重要だ。 一方、それまでの作業過程や仕事の経緯などはあまり重要ではない。
従来的なオフィスワーク・デスクワークではこの比率が逆転してしまって、ひと手間を加える発想が出てこない。
行きがかりの経緯の印象に引きづられて発想が広がらないうえに、頭を使うことへのプレッシャーがかからない。その結果、仕事の意識が消化試合的になって平板なアウトプットを得る、というタコツボ的な展開になりやすい。
仮説のカードをたくさん持ちたければ、それに適した脳の酷使のしかたがあり、あわせてワークスタイルも変革する必要があると感じている。
知識労働の最適なスタイルは未知
現状のオフィスワークが知識労働のアンチパターンであることは間違いないと思うのだが、どのようなワークスタイルが適しているのかはまだ未知な面が大きい。
身もフタもない話ながら、人間はまだ知識労働に適応していない、下手をすると将来的にも適応しない、ということを前提としてもっと意識すべきだと思う。
というのも、これまでの長い人類の歴史のなかで、労働というのは狩猟・漁労・採集・農耕だった。ここに商業・工業が加わってきていて、ここまではすべて「肉体労働」なのだ。
現状、「万人が努力して上達できる」と言い切れるのは肉体労働に限られる、と考える方が安全だろう。
知識労働では、活動をあらかじめ規格化することが難しいため、考え方の筋が悪いと無意味なアウトプットが頻発しうる。
成果は書き物の質・量で評価すべき
ワークスタイル変革の必要性は、労働時間と付加価値の間の関係が弱まっていることも大きな要因になる。
いま当然のものと考えられているような朝の9時~夕方17時まで働く形式は、工場労働から来ている。 ベルトコンベアーの操業に合わせて就業時間が決まり、アウトプットも労働時間に比例して得られるから、労働時間に対して賃金が発生することに合理性がある。
知識産業では、労働時間よりもアイディアの当たり外れの方が付加価値への影響が大きい。
投入時間で測ることが難しいとなると、直接アウトプットの質と量で評価する必要が出てくる。 事業計画やラフデザイン、ソフトウェアプログラムなど、良いアウトプットは文章や図として表現できると思う。
一定以上の複雑度を持つアイディアを段階的に前進させていくためには、ロジックツリーのような構造に分解して各個撃破していくほかない。この点でも設計ドキュメントとして作っていくことが向いていると思う。
パソコン中心のワークスタイルが生産性を下げている面
日々の働き方にも大きく改善すべき点があると思う。
たとえば、2000年代に入りパソコンが猛烈に安くなった結果、多くの仕事が、パソコンを猛烈に使うスタイルになった。 経営分析・事業企画・営業プレゼン・プログラミング・コンテンツ執筆・アートワーク・動画制作……分野の違いはあってもパソコン上の編集作業が仕事の中心であることに違いはない。
このように、オフィスワークを一歩ひいた視点から眺めると、朝から晩までPCに向き合っているのが仕事、というビジネスマンが増えている。
問題は、パソコンのソフトウェアは制作・実行・実装段階を支援するツールであって、仮説立案に役立つツールが使われているわけではないことだ。
また、デスクワーク+パソコンは疲労の直接的な原因になっている。
『海馬 脳は疲れない』(池谷裕二・糸井重里)という本では、タイトルのとおり「脳は疲れない」ということが語られている。 脳は生命維持に関わる器官なので休んでいるときも働いていて、使い続けても疲労がないのだという。
オフィスワークの疲れは、じつは目・首・肩などの疲労であって、一日中すわって作業することや画面を凝視していることが、疲労の発生原因になっている。
現状のワークスタイルは消耗戦を中心に据えたスタイルになっていて、生産性を下げている面がある。
一見、進歩に逆行するような話になるが、ペンと紙の組み合わせの方が目や首への負担が小さいのであれば、1日の仕事の流れのうちパソコン作業を減らし、紙に手書きのプロセスを増やした方が合理的と言える。
まとめ
知識労働をベースとするワークスタイルは、知識産業そのものが持つ不確実性の影響が大きいため、これといった勝ちパターンが見通しづらい。
ただ良し悪しの判断基準としては、緻密な設計をたくさん生み出せるようなワークスタイルが良いワークスタイルだと思う。
世間のワークスタイル変革の議論は、ITの進歩にともなって供給起点・できることベースのものが多い。
たとえば、Skypeなどの遠隔コミュニケーション技術はたしかに分業のツールとして使えるのだが、知識産業で付加価値を生む最上流の設計プロセスはそもそも分業すると質が落ちる。
また、インターネットやクラウドの進化によって、覚えておかなくてもデータは保存できるようになった。ただ、情報の真贋を見極めたり、適切に発想を広げたりして、冒頭に書いたような仮説推論をできるようになるためには、理解しておくべき教養の幅はむしろ広ければ広いほど良い。
経営者の視点から見ると、常識的な発想とは逆に、需要起点・べき論で組み立てられたものが生き残っていくと思う。